こんにちは。My Diet Yogaの斉田舞です。
昨日弁当食べた場所。気持ちよかった〜!
さて。始めたばかりのランニングで事故にあい、しばらく走れなくなりましたが、なんとか回復。
晴れて(?)養成学校へ通うことになった私でした。
が。
そこからは私にとって試練の時代でした。
今思えばすべてはその時の私の成長に必要だから起こったのかな。
当時の私は、ただ単に、「ヨガの養成学校へ行けばヨガの先生になれる」としか考えてなかったのかもしれません。
学校へ行って講座を受けて言われたことやって卒業することがゴールで、そうしたら自動的に先生になるんだろなって感じだったのでしょうか。
受け身であり、その後の大きな目標、、向かうところ、どんな目的で、何のために、何をしたいのか、どうなりたいのか、あんま考えてなかった。
だからでしょうか。
余計に、ヨガ哲学、ヨガの指導法、指導者としての心構え、レッスンの組み立て方などもしっくり入ってこない。
習った通りに感じようやろうとしてもなんだかぎこちない。
私が私じゃない感覚。
だけど、出来が悪い、みんなと同じにできない、そんな風に自分を思いたくなくて評価されることが辛くて必死で周りに合わせてました。
もはや何の目的でやってるのか、自分でもわけわかめになってました。
養成学校時代は、今でもあまり思い出したくないような、劣等感や他人との比較、夜も眠れないほどの執着心や自分を信じられない心、いろんな感情との戦いでした。
一度学校をやめて、先生に泣きながらお願いして戻らせてもらったこともありました。
今思えばホントに感謝です、、、いろんな問題があった劣等生でした(笑)
もしあの頃に、コーチングに出会っていたら、回り道少なくもっと楽にスムーズに夢に向かって最短距離で進んでいけたかもしれません。
今思えば、あの頃の私にダイエットコーチングしてあげたい気持ちです。
私はなんとか卒業したものの、周りと同じようにしなきゃいけない、でもできない。
みんなと同じように考えたり感じたりしない自分がおかしいのかな。
と追い込んで、自分で自分を「落ちこぼれ」と思いこんで、セルフイメージがひくーーーーい状態で先生生活の幕開けとなりました。
もちろん卒業がゴールじゃなくてスタートだったわけで、そこからも、他人との比較、劣等感、執着、などと向き合いながら、レッスンを持つことができた教室で一生懸命レッスンをしていくうちに、生徒さんとの関わりによるたくさんの気づき、教えられることがありました。
当時は精神的には辛いながらも無我夢中で、とにかくやることを日々やっていました。
その後の先生生活中には、引越しやら仕事のことやらいろんなことが重なって精神的に参った時期もありました。
家族や人付き合いの悩みで鬱々とした日々を過ごした時期もありました。
何をしていきたいのか、どうなりたいのか、誰に喜んでもらいたいのか、なんのためにしてるのか、グルグル考えた時期もかなり長かった。
ヨガインストラクターとして、フィットネスクラブやヨガスタジオ、教室などで幅広く指導させていだき、ランナー向けヨガ教室『ラン&ヨガ』を7年前に立ち上げ、今まで100人以上のランナーを指導してきた私は、周りから見たら華々しくキラキラして悩みなんてなさそうと言われていたけど、ホントは何か足りなくていつも周りに何かを求めていたのかもしれません。
今思えばすべては無駄なことはなく、辛い感情や自分と向き合えたこと、悶々とした日々も、その時必要だから起こったことなのかもしれませんね。
長かったけどね(笑)
続く。
コメント