④ヨガの先生を目指してるうちに、ヨガが嫌いになりかけた話

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③カラダをはってヨガの先生を目指した10年前の話(笑)の続き

 

ヨガの先生養成講座での勉強は、「カッコいい先生イメージ」の憧れオンリーだった当時の私が想像していたものとは全くもって違うものでした!

今は、大笑いしながら話せるネタだらけだけど、当時は深刻で本当に暗くなってました、頭の中を考えがぐるぐるして眠れない日も、ありました。

 

「レッスンでの教え方の勉強」はまどろっこしいとしか感じず、ヨガ哲学は、宗教にしか思えず、は!?何言ってんのかわかんない!というありさま。

心と体は繋がってる?私はお話聞きたいわけじゃないんだよ、体を動かして引き締めたいんだよ、かっこいいヨガの先生として活躍したいんじゃーー!

 

今だから言えます。

当時の心の声は、きっとそんな感じだったはず(笑)

 

でも。。。。

そんなこと言えなかった。

だって。

みんな、一生懸命なんだもの。

 

同期のみんな、本気で学んで練習して、ヨガって素晴らしいって言って、指導方法を練習してる、課題に取り組んでる。

 

なのに。

私だけ、そう思えない。

おかしいのかな、私。

いや、そう思えないわけがない。

思わないといけないんだ。

だって。

カッコいいヨガの先生になるって決めて当時の私からしたら大金を思い切って出して、毎週子供を実家に預けてまで勉強始めたんだもの。

学校を卒業したら、ヨガの先生になれるはず。頑張れ私!

当時の私は、小学生が難しい物理の勉強を習って、全然理解できないけど、合格がゴール、合格したら全てハッピー♫

だからそこまでは、興味ない勉強も、なんとか感とか無理に分かろうとして、公式だけ必死で覚えてる。

例えて言うならそんな感じだったかもしれません(笑)

・・・・

 

そりゃ苦しいわな(笑)

今はネタにできてる私だからこその写真(笑)

 

ヨガって本来、心を整えるためのツールのひとつなんですよね。

歴史は古く、5000年前インダス文明のあたり。

当時の人たちが、「怒りとか妬みとか比較とかのネガティブな感情を、できるだけ持たずに、より幸せに生きるためにはどうしたらいいんだろう?」と考え、そのために、人間性を高めることや、心と体、周りと自分、をつなぐ、ための方法として長い間かけて編み出されたもの。

ヨガの語源は「つなぐ。ひとつになる」その実践の場が私たちのリアルタイム人生。

「日々の生活、日常」なんですよね。

だから、ヨガでは、考え方や出来事の見方とらえかた、良い呼吸のやり方などたくさんの教えがあり、「ポーズ(アーサナ)」は、あくまでもそのうちのひとつ、なのです。

今なら自分なりの解釈で実感できることでも、当時の私には、チンプンカンプンでしたなんでも、タイミングってものがあります。

いい悪いじゃなくて、誰にでも、その時その時でのタイミングがある。

全ての出来事には意味があり、ベストなタイミングでやってきます。

当時の私は、ある意味、ベストなタイミングでヨガに出会ったのかもしれません。

ヨガ哲学が頭に入らず、「周りと比べない」ヨガをやりながらどんどん周りを比べては、自分の劣っている点や足りないところを探し、ヨガが嫌いになっていったわたしは、やがて、頭からではなく体で、体験、経験でそれらを、学んでいくことになっていきます。

全てのできごとは意味があります。

無駄なことなんて、なにひとつありません。

 

続く、

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